機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島


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 「ククルス・ドアンの島」はTVアニメ「機動戦士ガンダム」(1979年~1980年)の第15話。本筋とは直接関係しない幕間の閑話であり、また海外放送では省かれたとも言われる話。
→第15話「ククルス・ドアンの島」 | GUNDAM.INFO
その第15話が、放映から四十年以上経って翻案され映画化された。
2022年6月3日松竹系公開。

 ガンダムはリアルロボットアニメの泰斗として知られ、いまもスピンオフや新作が制作される定番作品。
その中で、第15話は異質で不人気と聞いていただけに、今回の映画化には驚いた。

実際みてみると、家族向けロボット戦争アニメだった。いい年してアニメをみている連中には家庭持ちもいるのだから、家族向け要素を増やしたことは当然の帰結と考える(ただし小人割引はない)。

とはいえ、この映画は模型を買っている連中を無視しているわけではないし、その点で単身者も無視していない。
しかし政治的には低く評価されている。武装平和から非武装平和へ転換するという結末だからだ。公開期間が選挙と重なっているためなおさら攻撃される。かといって政治に阿って戦意高揚プロパガンダアニメにするのは無用に隷従することであり主戦派を勘違いさせることだ。

 ガンダムというロボットアニメは、宇宙へ移民した人々が独立を求めて、宗主国である地球側と戦争するアニメ。その戦場は宇宙に止まらず地球にまで及ぶ。
この映画のククルス・ドアンなる登場人物は宇宙移民側の脱走兵。大西洋の小島に戦災孤児とともに潜伏し、地球側から工作員(残置諜者)とされて攻撃され、戦争から逃れるために一人ですべてを、主役機ガンダムさえも撃退し、孤児を守ってきた。そこへかつての戦友が裏切り者を討伐するためにやってくる。
残置諜者などというのは地球側の穿った見方に思えたが、映画後半、彼は本当に残置諜者だったことがわかる。

 映画は良作だったが、その細部についてはもう少し脚本・演出を練ってもらいたいところがあった、と同時にもう少し甘いラストでもいいと思った。

 さて、映画の元になった第15話が幕間の閑話というのはわかるが、異質というのは私には今一つわからなかった。非武装平和を明確に唱えているために異質とされたのか、とも思ったが、次のガンダム論──主人公アムロ少年の周囲から父親が周到に排除されているという
→機動戦士ガンダム論のためのノート 父親は3度死ぬ,あるいは日本アニメの歴史を変えた25分.pdf 飯田 伸二 2016年を読んで、わかったような気になった。

 主人公の少年が、父親的な人物=ククルス・ドアンと出会い、しかもほぼ受動的な少年が提案したことを彼は受け容れてくれる。子供が言うことにも応じる、なかなか物分かりがいい父親像でもある。
このときの少年は両親と別れて乗艦以外に帰る場所を失い、自立と孤立の間にあるという状態にあったが、TV版ククルス・ドアンの島はそんな主人公の新たな居場所になるかもしれない、という点において作劇上都合が悪い。
第15話の後、主人公も乗機とともに脱走し、武器も携行していた。武器を棄てるよう提案した「ククルス・ドアンの島」の結末と相反し、やはり作劇上都合が悪い。
 なお、第15話の演出は富野善幸(由悠季)監督が行い、15話を海外放送で省いたのも富野監督だと言われている。→Mobile Suit Gundam (TV) [Trivia] - Anime News Network:W
第15話には触れていないが次も参考に。→「アムロ父子の確執は創作ではなかった」 40周年『ガンダム』富野由悠季監督が語る戦争のリアル | 朝日新聞デジタルマガジン&[and]

 映画ではTV版と時系列が前後していて、安彦良和が描いたガンダム漫画版ジ・オリジンに基づき(明確には言及されていないけれども)主人公は脱走して復隊したあと、乗艦しか帰る場所がないと受け容れたあとにククルス・ドアンの島へ渡る。
なお、安彦良和(やすひこ・よしかず)はガンダムのキャラクターデザイン及びアニメーションディレクター。そしてこの映画の総監督。

 映画の舞台はカナリア諸島アレグランサ島に設定されている。
カナリア諸島は実在すれど、あんな不釣り合いに大きな火口を持つアレグランサ島は架空だろうと思ったら実在していた。あの火口(クレーター)も灯台もあるという。黒い土があるかはわからない。
→灯台ファン必見『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』美術監督に聞く灯台登場秘話【カナリア諸島 プンタ・デルガーダ灯台】 | 海と灯台プロジェクト

以下ネタバレ

・主人公の乗艦の艦長と、他の乗組員との確執──主人公が戻らなかったらあなたのせいだと責めるなど、もう少し描いてもよかった。
そうすると、他の乗組員が主人公を探しにいく動機付けを強められる。

・家族向け戦争アニメながら牧歌的場面ばかりでなく残酷な場面もある。主人公が生身の敵兵を殺す場面で、物議をかもしている(らしい)。正義の味方に見える主人公も戦争する以上殺人を行う、ということを表す場面だから、否定的に捉えていいんじゃないだろうか。
あの場に居合わせたのは、ドアンとともに戦いたいと熱望している孤児の少年なのだが、やがて彼が兵士になるにしても、戦争は殺人だという光景を見てから、兵士になるかどうか自身で決める必要がある。もっとも(私の記憶では)彼の反応が描かれていない。
もう少し脚本・演出を練ってもよかったのではないか、とは思うが、やはり否定的に捉えられる演出なのだろう。

・そのいっぽうで、家族向け戦争アニメであれば、ドアンの元部下である女性兵士が生き残ってラストで彼の隣にいるとか、もう少し甘い結末でもよかったんじゃないかと思う。
彼が戦災孤児とともに暮らすのは贖罪でもあり、与えられる報酬は少ないということなのかもしれない。

 模型を買ってる連中を無視してはいないが、優遇しているわけでもない。映画館で模型を売ってもいいし、映画の前売券を模型屋に卸してもいいと思うわけだが、そんなことはされていなかった。そして高機動型ザク地上用が模型化されていなかった。おのれバンダイ……
ドアン用ザクはバンダイ直販サイト、バンダイスピリッツで予約販売されている。おそらく同社は販路を絞る流通戦略をとっている。
→HG 1/144 ドアン専用ザク - 商品情報│株式会社BANDAI SPIRITS(バンダイスピリッツ)※非アフィリンク

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