機動戦士ガンダム

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 本放送当時1979年は視聴率が低迷し、打ち切りになったロボットアニメ。現在はリアルロボットアニメの泰斗として名声を得、続編やスピンオフが多数製作、その名を冠した月刊誌まで発行される伝説的アニメ。
再放送や録画を経て注目され、やがて模型ブームを引き起こし、ロボットアニメの商品を完成品玩具(超合金等)から模型(プラモ、組立品)へ移す契機となった画期的なロボットアニメである。

 従前のロボットアニメの敵役は異星人など人類以外が定番だったのに対し、これは同じ人類と戦争する。だが近現代の戦争に付き物の愛国心を鼓舞する話ではない。

●主人公特権・特性
 物語の主人公には何かしらの特権・特性──物語を駆動させる積極性や熱意、強運、類い稀な才能そして目的が与えられる。しかしこのアニメの主人公は積極性に欠ける目立たない少年で、与えられた特権・特性が乏しい。2話から登場する好敵手のほうが主人公特権・特性を有しているくらいだ。そこがこのアニメの特徴である。

 大義なく生きる少年に与えられた少ない特権・特性が、敵ロボットを遥かに凌ぐ主役ロボットを操縦すること、そしてロボットパイロットとしての適性だったが、それも味方からは代替パイロットを用意されそうになったり(主人公特権のさらなる剥奪)、敵からは「勝ったのはそのモビルスーツ(=ロボット)の性能のおかげだということを忘れるなよ」と言われる(主人公特性の否定)など、他の登場人物から主人公として評価されないことがしばしばある。
また母親からは、少年が兵士となって殺人をも辞さないことを嘆かれ、ロボット技術者である父親は戦闘中行方不明になり、のち再会するも以前とは異なる父の様子に少年は茫然とし、両親と別離した。

 「ふつう」の少年として描かれる主人公は、与えられるはずの特権・特性を剥奪された状態で、戦時下の状況に翻弄される。このアニメの惹句は「きみは生き残ることができるか」である。

ニュータイプ
 ところが物語中盤になって少年は特性を獲得していたことが語られる。「ニュータイプ」である。
こうして主人公は主人公となったが、彼が求めたのは英雄となることではなく、帰る場所を得て安堵することだった。

 ニュータイプなる概念は作中突然登場し、しかもはっきり定義されない。超能力者とほほ同様に描かれながらも、立体的に機動するロボットの中で空間識が研ぎ澄まされて意識が拡張されること、類い稀なパイロット適性のようなものと考えられている。

 私は次のように推測した。主人公特権・特性に乏しく、正規の訓練も受けていない少年が生き残る=職業軍人に勝利し続けることの辻褄を合わせるため製作者が途中から付加した設定がニュータイプだと推測した。製作者は、その少年を主人公にしたために、彼を舞台にあげ続けなければならなかったのだ。
だから放映前の企画書にはニュータイプなる用語やそれに類する概念は載っていないし、ニュータイプ論が本質ではないのだからそれで新たな話を作ろうしても着地点を見失う、と思っていたのだが、後年その企画書を見る機会を得て読んでみたら「エスパァの導入による考察」(富野由悠季の世界展図録、p72、キネマ旬報社、2019年)との文を見つけたのだった。

 なお、富野由悠季(当時は富野善幸)監督も安彦良和(キャラクターデザイン担当、作画監督)も、ニュータイプ等SF的要素は作品の周縁であって本質ではない、という意味合いのことを後年述べている。

 定評ある革新的なアニメであるが、同じ話を新作として放映したら激しく非難されるだろう、とくに保守派と主戦派そしてネトウヨから。
このアニメには、主人公が主役ロボットとともに脱走して乗艦と乗組員に迷惑をかける話がある。しかも主人公は態度が弱々しい。
脱走の理由は前述の代替パイロットを用意する件で、客観的には主人公の負担を減らすことであり温情だが、成長期の少年である主人公の主観としては居場所(集団内での地位)を脅かされることだった。
これは保守派、いや政治思想の左右にかかわらず強者の論理で思考し弱者に教条主義を強要する権威主義者が嬉々として非難し執拗に攻撃する格好の理由になる。
その種の人々に好かれる主人公は強者。他人の尻馬に乗って騒ぐ(強者の権威を笠に着る)者は勝ち馬に乗りたがる。そしてガンダムは勝ち馬になった。

 五年後、新たな主人公と新たな主役ロボットが登場する続編が製作された。次回は機動戦士Zガンダム


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