コタローは1人暮らし

 世知辛い設定のなか善意があって表面上は穏やかな日常系アニメ、と同時に都合よく利用されるかもしれないアニメ。
2021年に実写ドラマ化され、2022年にアニメ化された。2023年4月に実写ドラマ第二期放送予定。

アニメ全話みた。育児放棄された幼児が一人暮らしする話。
感動ものに分類されるアニメながら、演出があっさりして落涙することもなかった。たぶん作者が泣かせて終わる作品にしたくないのだと思う。

 最初に幼児の奇行を見せ、周囲の登場人物が、その原因が育児放棄にあると気づいてゆく場面構成が多く、その過程で視聴者は虐待された児童の特徴を知ってゆくという、啓発・啓蒙アニメでもある。

 このアニメ自体は上出来で良作なのだが、新自由主義に好都合な設定がある。
作中、公的支援は殆ど登場せず、主人公の幼児は母親の死亡保険金で生活費を賄う設定で、弁護士が後見人になっているようだ。
公的支援(もちろん税金を財源とする)で生活する設定にしてもよいし、そこに問題があるならそれを指摘する話でもいいはずだが、そうではない。

新自由主義者は次のように解釈するだろう。虐待親が死んで保険金で遺児を養えばいいんだから公的支援を減らして税金も減らそう、と。
だが、虐待加害者はその考えに協力せず、被害者を生かすことも優先しないだろう。

 富の集中によって富裕層を増やせば投資がさかんになってトリクルダウンすると主張される新自由主義では、前提となる富の集中を実現するために富の分配を妨げねばならない(労働分配率を下げねばならない)、すなわちトリクルダウン現象が慢性的に阻害される。
よって低所得層が増え、個人消費が低迷して不況が慢性化し、児童虐待育児放棄発生要因である貧困もまた増える。
さらに新自由主義が好む「強者の論理」は虐待を正当化する。虐待加害者こそが当該家庭における強者だからだ。カネと手間がかかる子供は家計にとって負担であり、その養育を担う親が生殺与奪の権を握るのは当然だと、新自由主義かつ低所得層である加害者は考えるだろう。
公的支援を減らせばこれらの傾向は強まる。

 前述したように、このアニメは上出来だが、新自由主義に好都合な設定があることには注意がいる。