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これは捨てられた者が失ったものを求め、何者にもなれないお前たちに告げるアニメ。
2011年に放送され、2021年秋からBS11で再放送中、また2022年劇場版公開。
断続的に20話までみた。再放送だが私は初見だった。
前回「時光代理人」で記したようにアニメにおけるマンガ的絵コンテに異論を差し挟みたい。
「マンガ的絵コンテ」なる用語を細かく定義しないが、カットの切り返しが多く、アップとくに顔のアップが連続し、人物等の配置が平面的というか平板なレイアウトだと思ってくれればいい。
アニメはマンガと違って声を出し絵が動くから、会話するだけなら、誰が喋っているのか明確にする顔のアップを逐次行うことはない。
顔と声を一致させる目的をもってアップにするとしても、それを乱用して喋るだけで顔をアップにし続けると、周囲が見えず、その場面の雰囲気や登場人物の立ち位置が失われてゆく。手足を動かす際の、動く部位のアップも同様だ。
しかし例外的にマンガ的でもいいと感じるアニメがあり、そのうちの一品が幾原邦彦監督「輪(まわ)るピングドラム」である。
そう感じる理由をうまく言語化できないが、今回やってみよう。
幾原演出では画面内における登場人物の配置はおおむね平板である。
複数の人物が日常的に会話する場面においては極力カットを減らして登場人物全員を画面内に収め、人物間に対立や緊張がある場合には、マンガ的に顔をアップにしたカットの切返しを行って緩急をつけ、場面の雰囲気を演出している。
そのときの顔は視聴者と正対させず、画面内で対立している登場人物に向けられている。この顔の向きをあいまいにすると、誰に向かって喋っているのかあいまいになる。
登場人物の配置を平板にしない場合、顔の向きをおざなりに決めると、視聴者と正対するアップが増えて、登場人物が話す相手が(無意識に直覚的に)視聴者へと変わってしまう。
幾原が登場人物を平板に配置するのは、舞台演劇の影響とともに、人物間の配置を画面内に収めることによって、視聴者を惑わせずに画面内に引き込むためではないか。
これはマンガ的ではない絵コンテにも共通し、視聴者に特に訴えたいときには登場人物が正対する。
さて、日常会話における平板なレイアウトは視聴者に飽きられてしまう。そこでカットを切り返す手法が多く用いられるが、幾原演出では、人物を細かく動かしたり、各人物を象徴或いは代弁する小物やペンギンを配して視聴者が画面から目を離さないように工夫している。これは深夜アニメだけでなく幼児向けアニメでも有効と見られる。