魔法少女マジカルデストロイヤーズ

 楽しんでみているがしかし、二十年遅れてやってきたアニメに見える。略称マジデス。
MBS、TBS、BS-TBSテレビ長崎で放送中、Amazon Prime Video、Hulu、U-NEXT、スマートパスプレミアムで配信中。同名ゲーム配信中。

8話までみた。オタクが保護監察処分されて取り締まられる架空の現代、東京都秋葉原はスラムと化し、オタクが解放と革命を目指して国家権力と闘い続ける話だ。
オタクの気持ち悪さも描くなど、全肯定しているわけではなく、オタク文化をあくまで傍流(サブカルチャー)に位置付け、アナーキーとか解放区とかコミューンとか左派に馴染みやすい用語が出てくる。
対する主流(メインカルチャー)は権力体制側に位置付けられ、2話3話5話でちょっと描写される。

 私的意見を表明すると政治的主張へ転化することがある。有権者(或いは将来の有権者)である我々の私的な意見が政治性を帯びることは民主主義の必然でもある。
「好きなものを好きなだけ好きといえる世界のために」という主人公らの私的な主張も、賛同者が増えるごとに政治的主張へ変化してゆくから、体制側から制御・利用できるかどうか値踏みされる。政治なんか気にしないと無頼ぶってみても、未知の団体を組織させかねない集団は権力体制側から警戒される。組織力は票田となり権力基盤となるためである。これは現在のLGBT+も同様だ。

 かつてオタクは左派に親和的で傍流側であったが、子供のころの感覚を捨てない、という点で保守的でもあった。そこに気づいた保守右派はオタクに近づき、そのネトウヨ(インターネット発祥の右翼)化に成功、今では他の傍流文化を敵視し、愛国心を自慢しながら新自由主義を支持している。国家主義新自由主義は相反するのだが、それさえ気づかず投票している。

 ネトウヨがオタクは右傾化していないなどと嘯いているが、あれは歴史捏造だ。
日本がまだ工業化を進めて生産者を増やしていたころ、国家権力が趣味に没頭する消費者=オタクを煙たがるのは必然だった。
国家は教育をもって国民を労働力=生産者へと作り変える。高度経済成長期(1955~1973)には、消費者=子供であり続けようとするオタクは厄介者で、大人=生産者を避ける者と思われていた。
生産者になりたがらないのは国家への静かな反逆であったし、またマンガの愛読者層には左翼学生が多数いたため国家権力からはバカな連中と見なされていた。いや左翼学生が読んでいなくてもマンガはバカの読み物と見なされていただろう。若者が好むものは体制側から軽侮されるものである。
オタクであり続けることは必然的に反体制・反権力側に立つことであり、オタク⊂左翼学生であった。

 若者は大人──親・教師世代に反抗する。1950年代後半~1970年代前半(昭和30~40年代)は政治を掲げて反抗する左翼の時代、その後の十年(昭和50年代)は直截的暴力的に反抗する不良の時代、そして1980年代後半から90年代(昭和60年代から平成一桁)は大人社会を避けるオタクの時代、21世紀に入ってからはネトウヨの、そして2010年代はヤンキーと半グレの時代だ。
どの時代にも左翼右翼、不良、オタクはいて、時代によってその数が増減した。若者は時代の流行に合わせて反抗するのだ。

 さて、前述の左翼学生も歳をとる。オタク兼左翼学生が卒業して就職浪人になり、辿り着いた業界がアニメマンガ業界(傍流文化の一分野)だった。子供向け産業は、同じ傍流の一分野であるオタク文化を包摂し、購買層を広げてゆく。結果その周辺でささやかながらオタク市場が形成された。

1980年代末の幼女誘拐殺人事件でオタクが注目されて、犯罪者予備軍などと右派マスメディアに呼ばれながらも、オタクは1990年代バブル崩壊後の景気後退期において旺盛な消費者として再発見され、世間に認められるようになった。
そしてIT革命や技術産業の高度化が、オタクを必要とした。消費者にしかなれないと見られていた趣味人が生産者として再発見されたのである。

いまや政府与党でさえオタク産業を当てにする始末だ。国内産業がオタク産業以外衰退してしまったのかと皮肉るところだが、日本最大の企業が今なお自動車企業であるところを見るに、そしてクールジャパン機構を見るに、オタクから票をせしめるために扇動されれていると見るのが妥当だろう。

 他方かつてオタクと親和的だった左派は敵対するようになった。オタクが露悪的なうえ、あまりに人権・人道を軽侮するからである。それが労働搾取(ブラック労働)をはびこらせ、不況を慢性化させた。
社会が労働者の人権を軽視するなら、労働搾取する経営者・投資家を糾弾する行為もまた軽視され侮蔑される。結果、名目賃金さえ満足に上がらない状況が近年まで続き、貨幣の流通速度を低下させてきた。
もちろん外国人労働者も増やした。外国人差別が一般的感覚となれば、その労働力を経営者・投資家が搾取し見捨てても問題視されず、その行為を咎めるのは左派勢力くらいになる。よって排外的ネトウヨが増えたにもかかわらず、いや増えたからこそ産業界は外国人労働者で間に合わせることができるようになった。

 世間がオタクを容認し始めても変わらずオタクを差別していたのがヤンキーだった。その価値観・性向はネトウヨのそれと重なる。排外的で差別主義、男尊女卑傾向、強者の論理、強烈な安倍政権支持、原発推進、人権・人道・環境問題を軽侮し、侮蔑的攻撃的な表現を好むなど。
インターネットの普及により成りすましが容易になった21世紀、オタクはヤンキーと半グレに利用され家畜化されているのではないかと、そしてオタクのネトウヨ化に成功したのは保守右派というよりヤンキーだったのではなかったかと疑るところである。