現実主義勇者の王国再建記


 これは知恵と知識に価値をおきたいアニメだ。

TOKYO MXBS11等で放送中。

第一期に続き第二期7話(通算20話)までみた。アニメの出来はややお座なりに作られた感があって、予算消化アニメ(いや資金導出アニメ?)なのではないか、と感じたりもするのだが、みていられる。

深夜アニメながら扇情的な場面や残酷描写は少なく、刺激的な場面で視聴者を釣る意図は小さいようである。

 原作は近年流行るライトノベル(アニメ・マンガ・ゲームファン向け小説、略称ラノベ)それも異世界転生ものの一種。

話は転生先のファンタジー世界で、経済破綻しそうな王国を、現代日本から召還された主人公が現代的な知識で建て直す。

 現実主義とかマキャヴェリとか言い出すものだから、規制緩和外資導入や経済特区制定を行って、管理通貨を発行し金融緩和を繰り返して投資家や新自由主義者から絶賛されるアニメかと思っていたが、予想したほど新自由主義ではなかった。

とはいえ、現代日本人が自由資本主義を理想として改革を進めていることには違いないのだが、資本家らしい資本家は登場していない。

 さて、重箱の隅をつついてみよう。このアニメに限らず、ファンタジック中世を舞台にしたアニメが数多く制作されているのだが、作中で登場人物それも国王が愛国心を唱えることに違和感を覚える。

君主がいない共和政体を別にすれば、愛国心が強調されるようになるのは、主に近代国民国家成立後であって、それ以前の封建制君主制では愛国・忠国の前に忠義・忠君が先立つ。

封建制は身分制社会であり、国家に逆らうのはけしからん、ではなくて君主や領主に逆らうのは大逆であり謀叛であり反乱だからけしからん、になる。

そのような反乱においては、愛国を唱えるのは君主・領主側ではなくて、王侯貴族らを追放しようとする側になるだろう。

その国土に住む人々が生存権自治を求めて暗君を追放するとき、その行為を正当化する理屈の一ツが愛国であり、その根底には国王≠国家という観念がある。

ロベスピエールは大いに愛国を吹聴したし、「愛国主義は悪党の最後の逃げ場所であるPatriotism is the last refuge of a scoundrel.」というS. ジョンソンの言葉も王を批判する者に向けられていた。

 王侯貴族を追い出す反乱側が愛国を主張し、身分制をもって秩序づけられた体制を治める王侯貴族が忠君・忠義を主張する、としたほうが中世っぽくなるのではないだろうか。

そして、国王・君主が人々に愛国を唱え始めるのは、君主が民主主義に妥協して立憲君主制を受け容れてから、とくに君主制国民国家がないまぜになったドイツ帝国(第二帝政)や大日本帝国が成立した18~19世紀からではないだろうか。

また、暴力革命を経ずに封建制を揺るがし、民主主義を後押したのが、身分に関わらず個人間の対等な契約で成り立つ自由市場、というのが自由資本主義者らの主張ではなかったか。

その自由資本主義に対して、合理的経済人なる人物像は非現実的で、自由市場には封建的な遺風が色濃く残っていると批判し改革を行ったのが社会主義者共産主義者だっただろう。

 このアニメの主人公は先験的に自由市場と自由資本主義を受け容れているようなのだが、マキャヴェリストだから、やがて台頭する民主主義を脱色して新自由主義的に変えたりするのかもしれない。